滋賀大を語る(完)
■■■外部から見た滋賀大■■■


 広報誌『しがだい』の創刊企画「滋賀大を語る」というシリーズも最終回を迎えました。これまで3回にわたって、滋賀大の歴史や現状、今後の展望について、学長、教育・経済の両学部長から若手教官まで、学内の幅広い世代による座談会を掲載してきました。
 今回は、視点を変えて、外部から見た滋賀大というテーマで、本学の卒業生である桂 泰三 氏(シャープ(株)顧問)と川瀬 正良 氏(草津市教育長)に、企業と地域という視点からインタビューをお願いしました。




   企業から見た滋賀大 (桂 泰三氏・シャープ褐レ問)

   地域から見た滋賀大 (川瀬正良氏・草津市教育長)




桂 泰 三(かつら たいぞう)
1930年京都府生まれ。50年彦根経済専門学校(経済学部の前身)卒業、55年早川電機工業(現シャープ(株)、70年社名変更)入社、取締役、常務・海外事業本部長、代表専務、取締役副社長、常任顧問を歴任し、99年よりシャープ(株)顧問。
企業から見た滋賀大

《学生時代の思い出》

― まずはじめに、桂さんの学生時代について、お聞かせください。
 私は旧制中学を出て昭和22年に彦根経済専門学校に入学しました。戦争直後の混乱期です。食料事情が悪くイモ畑になっていた校庭を、皆でテニスコートにやり直すとか、環境的には決して恵まれていたわけではありません。ですが、その分教官との距離は近かったと思います。

― 思い出に残る教官、授業はございますか。
 特に思い出に残る先生は、石田興平先生、高田馨先生、高田彬先生です。石田先生は国際金融、馨先生は簿記・会計、彬先生は哲学がご専門でした。
 石田先生は指導教官で、為替レートを卒論の研究テーマに与えられました。当時の日本は国際収支が大赤字で、ガリオア基金やエロア基金といった経済援助を受けて、その穴埋めをするという状態でした。そのためGHQの指導で、製品ごとに輸出の可能なレートを別々に設定する複数為替レート制をとっていました。しかし、これは一国の経済のあり方としては異常な状態ですから、GHQはもちろん日本の政府も単一の為替レートへの移行を現実の課題として論議していました。これが私の卒論のテーマであったわけですが、いろいろ検討して私が得た結論は、適正レートを1ドル380円とするものでした。
 馨先生には、メーカーに行くようアドバイスをいただきました。戦後の日本の経済を支えるのは製造業しかないとのご判断からでした。馨先生は、あの時期に、将来週休二日制になることを予言しておられたのですから驚きます。彬先生には、カント哲学を学び、生きる上での理念の大切さを学びました。
 いずれの先生も、将来の日本をどのように構築していくかという強い課題意識を持ち、学生と接しておられました。振り返って、とても楽しい学生生活でした。

《世界経済の動向と大学教育》

― 桂さんが学生でおられた頃とは私たちをとりまく社会の状況は大きく変わっていると思いますが、滋賀大学経済学部での教育について、どのようなことを望まれますか。
 企業の立場からいえば、即戦力という点から、知識と専門性の両面においてMBA(経営学修士)程度の能力を持っている学生が望ましいというのが、正直なところでしょう。しかし、4年間の大学教育にこれを求めるのが無理なことはわかっています。では何をと問われれば、学生の中に価値観・判断力を支える素地を育成することをお願いしたい。

滋賀大について語る 桂氏

― 価値観・判断力を支える素地というのは、具体的にはどのようなことでしょうか。
 学部として明確な理念を持ち、学生が表面的な事象だけでなく、底にある変化の潮流をしっかり把握出来るように、導いて欲しいと思います。例えば、日本の経済は、かつてない困難に直面していますが、従来の好不況という物差しで、対応出来るものではありません。例えば、お金の流れが国境を越え、EUのような経済ブロック化が進むなど、中世以来、長い時間をかけて形成された民族国家という枠組み自体が揺らいでいます。その上に、IT革命と言われるようなコミュニケーション手段の大変革も加わって、世界経済全体が、まさに混沌とした状況にあります。当然、日本経済の問題も、そういう状況の中で把握されなければなりません。そして、そういうカオスの中から、どんな新しい秩序、枠組みを作っていくかが、21世紀人のミッションであり、それには、明確な理念と目的を持つ事が何より大事でしょう。私は、決して、HOW TO の側面を軽視するものではありませんが、そういうHOW TO が、日本経済の再生やグローバル化に生かされる為にも、経済学部では、この理念に関わる部分の教育を重視して欲しいと思います。
 
《経済学部に望むこと》

インタビューする千本木委員(左)と岩ア委員

― 世界的な経済状況に即した、マクロの視点からの理念、そして理念に基づく教育の必要性についてお話いただきましたが、シャープという一企業の戦略という点からはいかがでしょうか。
 私は、1974年から、約10年間、海外事業本部を担当しましたが、当時、入社早々だった、若い人達が、今では、各国の生産販売拠点で経営の幹部に育っています。必ずしも、語学が出来たり、世界経済の勉強をしていた社員ばかりではありません。それだけに、仕事だけでなく、現地で、文化文明についても必死に勉強してくれたのです。その点、今の学生の皆さんは、語学の習得環境は整っているし、インターネットで世界中の情報を、居ながらにして入手出来るし、本人の意欲次第で、いくらでも自分を高められるでしょう。私は、米国や英国あたりの若い人達と話をしていて、日本の若人も、もっと勉強して欲しいと、切実に感じます。日本の企業が、これから世界で、国際競争に勝ち抜いていこうとすると、各国で、向こうのトップクラスのビジネスマンと論議の火花を散らし、しかも、趣味や教養の面では心を通わせながら、仕事を進めていかなければなりません。
 それには、エレクトロニクスを目指す経済学部の人なら、専攻の分野は勿論、IT(情報技術)や、バイオテクノロジーなどについても、準専門と言えるくらいの知識は身につけて欲しいのです。それに加えて、自分の個性を生かす趣味や教養を深めてもらえれば、鬼に金棒でしょう。
 また最近は、商品の開発にしても、技術の標準化にしても、単独の企業で全てを進めるのは無理になり、国内外の企業や研究機関との協同作業が当たり前になっています。その際に、ミッションを果たすには、何と言っても、他が求める技術やノウハウを持っている事ですが、同時に、自分のシナリオを、堂々と伝えるプレゼンテーション力です。日本人は、語学の問題を含めて、この点で損をしています。日本人の良さは、相手の身になって物事を考えられる誠実性ですが、お互いの為になると信じたら、摩擦を恐れずに、討議の火花を散らす、「強い誠意」が求められています。本校のモットーである「士魂商才」にも、こういう意味があるのではないかと思っています。

― 本日は、お忙しい中、長い時間を大変ありがとうございました。

            インタビューア 
               
岩ア 奈緒子・ 千本木 修一(広報委員会委員)



川 瀬 正 良(かわせ まさよし)
1936年長浜市生まれ。長浜北高校を卒業後、学芸学部(教育学部の前身)へ入学、所属研究室は社会科地理。58年卒業。その後長浜小学校で5年、滋賀大学附属小学校で15年勤めた後、草津市へ。教育委員会の指導主事等の教育行政における各職と、草津小学校、山田小学校の校長などを経て、96年より草津市教育長。
地域から見た滋賀大

《豊かな出会い》

―まず先生がどうして滋賀大学を選ばれ、また教師への道を進まれたかお話ください。

川瀬 私が滋賀大学を選んだのには、特に理由はありませんでした。むしろ当初は教師になるつもりもありませんでした。実は他にやってみたい仕事がありました。入学してから途中で転学すればよいと考えていたほどです。しかし2回生のときに附属へ教育実習に行って、この考えは大きく変わりました。子どもたちとの出会いで、わたしは教師という職業の面白さ、すばらしさに目覚めたのでしょうか。それからは迷わずに教員への道を目指しました。

―教員として仕事をはじめられたころ、特に思い出に残っていることはありませんか。
川瀬 私がはじめて勤めたのは、母校でもあった長浜小学校だったのですが、その小学校の教頭先生は、毎日の授業について教案を作って提出するよう命じられ、それを全部添削して返されました。そして毎日少なくとも1時間は授業を見にこられるのです。何か問題があるとその場で遠慮なく指摘されます。これが1年間ずっと続きました。それも私だけではなく、新任教員3人の全員に対してです。わたしの教師としての経験が、こういう先生に出会うことではじめられたのは忘れられません。その他にも、私の教師としての人生を決定づけるような出会いがたくさんありました。

―それから附属へ行かれたわけですね。
川瀬 長浜に5年勤めてから附属へ行きました。当時の附属は、本当に自由にゆっくりと研究ができました。15年間勤めましたが、この間に身につけた教育内容や方法は、今でも私の一番大切な財産です。附属は滋賀県の教育の中心であるという責任感をもっていましたから、一生懸命授業の研究をやりました。みんなそういう意識をもってお互いに支えあいながらがんばりました。
 そのころ大学からきた実習生ともいろいろな思い出があります。教育実習までは、教師について、はっきりとした考えをもっているほうが少ないでしょう。私はそれでいいと思います。しかし実習によってその学生にはっきりとした教師像が生まれなければ実習の意味がありません。子どもと接して自分の人生観が変わるような実習をしてほしいのです。ただしそのためには指導する側も大変だし、学生のほうにも心構えと気概が必要です。

地域社会から

教育について熱心に語る川瀬氏

―草津では地域の特色ある教育としてどんなことをお考えですか。
川瀬 私は思いがけなくも教育行政分野に身をおくことになりましたが、学校にいるときには見えなかった教育全体の問題が見えてきたという気もしています。とくに学校だけではなく、地域社会における教育の問題について考えるようになりました。しかし自分にとっては学校現場が基盤ですから、できるだけ学校の先生や子どもたちとの対話を続けてゆきたいと思っています。
 ちょうどこの間から教育長と「TALK」するという試みをしました。小学校5・6年生、中学校1・2・3年生の学級単位で行いました。でも中学校へ行くのは正直びくびくものだったのです。私は中学校の教師の経験がまったくなかったものですから。でも中学生と話してみて私自身すごく新鮮な印象をもちました。一般的に中学生を大人のものさしでしか見ない大人が多いのが現状ですが、中学生に「生き方」の点でこちらが真剣に、情熱的に「語り」かければ、中学生も真剣なまなざしで返してくれると感じました。「話す」ということより「語り」が大変大事なように思います。
 これからは生涯学習、地域における教育が大切な役割を担うようになるし、学校教育にもこの考え方を入れていく必要があると思っています。いま草津市では「地域協働合校」という名称でひとつのプランを進めています。地域全体を学習社会にしようというもので、これも町づくりのひとつです。いま人と人とのつながり、かかわりが少なくなる、地域の中でのつきあいも希薄になる、こんな状況の中でどうすれば豊かで人間的な生き方ができるようになるか、特に高齢社会の進行にともないこれは切実な問題になってきます。それを私たちは地域での「協働」によりいっしょに学び、教えあう学校、それを「合校」と名づけてみたわけです。こういう「地域学習社会」の中で子どもも本当に健全な成長ができるのだと思っています。

大学に望むこと

―大学の教育研究に対して、どのようなことを期待されますか。
川瀬 大学の学生にも先生がたにも、地域の教育にぜひ参加してほしいと思っています。大学はもっと開放的に、社会のいろいろなニーズに対してこたえてくれるようになってほしいものです。大学の開放というと、ついつい公開講座とか、講義の開放だとか、先生の専門性を中心に考えがちですが、それだけではなく、学生も含めて大学全体が地域の中で役割を果たすような、そんな大学の開放を私はイメージしています。私にとって滋賀大学は母校ですから、ぜひ滋賀県の地域の教育について情報の発信基地になってほしいのです。しかし現在のところ大学側からそういう働きかけが少ないように思います。特にこれからは地域の自治体とのつきあいをぜひ大切にしてほしいと思います。教育関係だけではなく、広い意味での町づくりにつながるような分野に、学生も含めて大学の人たちが積極的に出てゆく、大学のキャンパスで誰かが来るのを待っているのではなく、大学の外に活動の場を求めてゆくというようになってほしい。たとえば大学の公開講座にしても、今のキャンパスだけではなく、外へ「出前」をするような感じでできないでしょうか。あるいは高校生や子どもに向けて、もっと基本的な勉強の面白さを教えるような試みはできないでしょうか。大学は高級な学問の場だという意識だけではだめだと思います。その学問の後継者を、一番基礎のところからつくってゆくにはどうしたらいいかということを、大学自身が考える必要があると思います。
 学生のサークル活動ももっと地域とつながりをもつことはできないでしょうか。趣味で学内や大学間の試合だけで終わるのではなく、地域の青少年のクラブとの連携により、地域の青少年の育成に積極的にかかわれるし、それは地域も大歓迎です。先生方もそういう仕掛けを学生たちにあおってほしいのです。ボランティア活動でも同じです。

なごやかに思い出話をする川瀬氏(左)と
秋山委員

―最後に教育学部の学生たちにOBとして一言お願いします。
川瀬 まず教育学部の学生は、「滋賀県の教育は自分たちに任せてほしい」、これくらいの意気込みがほしいと思います。採用が厳しい状況はわかっていますが、できるだけ一人でも二人でもたくさんの人に教員になってほしい、教師というのはそれだけ魅力ある職業です。滋賀大学教育学部はやはり滋賀県の教員養成を任務にしている大学です。それは変わってはならない基本だと思います。大学の先生も、そういうつもりで学生を育ててほしい。滋賀県下には教育学部のOBがたくさんいます。その人たちみんな、皆さんを応援したいと思っています。ぜひともがんばってください。

―本日はお忙しい中、大変ありがとうございました。

           インタビューア  秋山 元秀(広報委員会委員)




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