附属史料館収蔵資料の紹介


湖東中郡日野八幡在々持余家見立角力


(真崎俊朗氏 寄託)

  江戸時代の刷り物に、人名を順序づけて並べた番付がある。もともとは歌舞伎・浄瑠璃や相撲興行の宣伝用パンフレットとして作られた役者番付や相撲番付から始まっているが、その後それらの番付を模倣して、長者番付や流行語の番付、諸国珍事番付など、庶民の娯楽として様々な見立番付が作られたようである。
 写真の番付は、江戸時代における湖東地方の富豪を列記した長者番付である。タイトルの意味は、湖東の中郡(ここでは主に神崎郡を指す)と日野町・八幡町近辺の村々で財産を持ち余している家を角力(すもう)番付に見立てたものというようなことである。
 総後見人に外村与左衛門・松前屋岡田小八郎を置き、東の番付の筆頭には五個荘位田の松居久左衛門、西の筆頭には八幡の梅村甚兵衛と、この時代の有名な商人が並んでいる。当史料館で収蔵している近江商人史料として、日野の中井源左衛門家文書・近江八幡の松前屋(西川)伝右衛門家文書があるが、その名前もみえる。地名・名前の上に見える宝の小槌などの印は、各家の財産の規模や暮し向きの特徴を示すもので、欄外の凡例には、代々続く金も資産も十分な格式ある大店で随一の長者であるとか、金貸し商売で大金持ちではあるが家屋敷や家財道具などには無頓着である等の説明がある。当時の有力な商人たちを知るには一目瞭然の好史料といえる。
 この番付の作成年代ははっきりしないが、江戸時代後期の天保〜弘化頃(1830〜47)かと推定される。同じ番付で順位の違ったものが一点確認されていることから、好評を博したのかクレームがついたのか、改訂して発行されたようである。いつの時代も、金持ちに対する庶民の関心は大きいものなのであろう。勧進元・板元はどちらも江州中郡呑穴庵茶楽斉とあり、作者の遊び心が窺える。
 庶民の娯楽とはいえ、商家の盛衰が歴然と客観的に示された番付である。質素倹約・陰徳善事を旨とする近江商人も、こうした番付を目にして、内心穏やかであったかどうか…。

                     南田 孝子(附属史料館教務員)



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