滋賀大学の新しい動き

   戦前のアジアへの修学旅行。
    WEBでみられる所蔵資料展。


                   阿部 安成(経済学部助教授)


 滋賀大学の新しい動きとして、ここでは、彦根キャンパス内で所蔵されている歴史資料にもとづいておこなわれた、研究報告と展示についてご紹介いたします。
 本学経済学部の母体となった旧制彦根高等商業学校(彦根高商)では、その修学旅行にさいして、教官と生徒が朝鮮半島、中国大陸、台湾、南洋(ただし、フィリピンのマニラ)にでかけていました。戦前の教育機関で海外への修学旅行がおこなわれていたことはいくらか知られていましたが、わたしたちにかかわりの深い彦根高商の修学旅行については、それを知る手がかりはほとんどありませんでした。そうしたところ、2003年に開催された滋賀大学経済学部創立80周年記念展をきっかけとして、彦根高商から滋賀大学経済学部創設期にかけての史料が公開され、そのなかにふくまれていた6点の簿冊資料をとおして、彦根高商の海外修学旅行が明らかになってゆきました。
 彦根高商の海外修学旅行について、わたしは、京都民科研究会例会(2004年12月11日、京都薬科大学)、日本移民学会ワークショップ(2005年3月26・27日、京都大学)、滋賀大学経済学部ワークショップAsian Studies Workshop壱(2005年7月25日)で報告をおこないました。彦根高商のばあいは、およそ1か月におよぶ長い日数のあいだ、東アジアの各地への旅程を組んで、生徒が卒業後に「活躍」する可能性のある場所を在学中にあらかじめみておくこと、おそらく旅行会社が提供する戦蹟案内ともかかわって、日露戦争などの戦蹟を見学すること、を目的として海外修学旅行が実施されました。
 彦根高商とおなじ旧制高商のなかでは、小樽高商(現小樽商科大学)はウラジオストックや清津への修学旅行をおこなっていたこと(小樽高商史研究会編『小樽高商の人々』小樽商科大学、2002年)、高岡高商(現富山大学経済学部)でも海外修学旅行を実施し(高岡高商の卒業アルバムで確認)、大分高商(現大分大学経済学部)ではそれについて彦根高商に問い合わせをしていたこと(彦根高商の簿冊で確認)がわかっていますし、奈良女子大学ではその母体となった奈良女子高等師範学校がおこなった、「大陸修学旅行」についての史料を画像でみられるようにホームページ(http://www.nara-wu.ac.jp/nensi/kousitop.htm)で公開しています。
 帝国大学での植民学についてはすでに多くの研究があるなかで、高等商業や高等師範といった教育機関での植民政策の講義や海外修学旅行をめぐる研究はまだ緒についたばかりです。『日本経済新聞』(2005年10月22日、朝刊、文化欄)で、「知られざる大修学旅行」との見出しのもとでわたしの談話とともにその見解が紹介された高媛さん(日本学術振興会外国人特別研究員)は、「満洲」への観光旅行の研究を牽引しておられます。2005年度に始まった前記のAsian Studies Workshop壱では、高さんをお招きして研究会を開きました(「帝国と観光−戦前における日本人の「満洲」観光」2005年11月2日。ワークショップの概要は本学経済経営研究所のホームページを参照)。「観光」は、アジアの19世紀〜20世紀を対象とする文化研究の重要な領域となりつつあります。
 経済経営研究所のホームページで、2005年10月26日〜2006年1月26日に開催した第2回インターネット企画展「旧制彦根高商の海外修学旅行−戦前のアジアへ」は、アジアへの観光や、戦前の旧制高等教育機関での植民学や資料収集をめぐる新しい研究をふまえた、これまでにない試みといえるでしょう。史料としては、彦根高商での海外修学旅行の写真は、現在1枚も残っていません。インターネット企画展では、それを補うために、彦根高商の調査課(現在の経済経営研究所)や図書課(現在の附属図書館)が同時代に収集した複数の図書や文献をつかって、当時の風景や観光案内や高商生の見聞を写真と文字とで表現してみました。史料の制約があるなかで、どのように海外修学旅行を表現するかがこの展示のみせどころとなる、と自覚して作業を始めました。
 史料を画像としてWEB上で公開することは、わたしたちの研究所のホームページでも、デジタルアーカイブとしてすでにおこなっているところです。展示では、旅行をあらわすのですから動きをもって、海外修学旅行の旅程がわかるように工夫しました。彦根高商の教官と生徒の足跡は、モニターの画面にあらわれる地図のうえを走る汽車と汽船でたどれます。当時の地図上の「京城」や「大連」にカーソルをあわせると、そこの風景や市街図の写真があらわれ、それぞれの場所について記された文章も読めます。こうした展示の設計は、本学大学院に在籍する情報管理学専攻の院生の力と技により可能となりました。
 この展示では、彦根高商の海外修学旅行参加者がみたであろう風景、彼らがそこに立ったそのあとでみえるようになった風景、彼らはもうみることができなかったかもしれない風景がみせられます。こうした構成は、歴史というものが複数の時間の層とでもいうべきものでつくられていることをあらわしています。当時の高商生にとっては近時の過去であり、かつ同時代の出来事として見聞したり体験したりすることとなる日本の対外戦争――それと海外修学旅行という観光は深くしっかりと結びついていたのです。この展示をみるわたしたちの社会にとって、時間のうえでも、記憶や体験をめぐっても日本の対外戦争はとおい過去の出来事となってしまった観があります。また、当時は「国内の」観光としてでかけられていた地域が、いまやそうかんたんには訪れることのできない場所となってしまったばあいもあります。「観光」の内実がおおきくかわってしまったことも、時間の多層としてある歴史とかかわっているのです。
 この企画展は、「アジア修学旅行紹介」「旧制彦根高商が戦前に12回」との見出しが掲げられた記事となって報道されました(『朝日新聞』2005年11月15日、朝刊、滋賀欄)。この記事は、わたしたちにとってうれしいお知らせがくるきっかけとなりました。1935年の修学旅行にいったという卒業生から電話がかかってきたのです。その方はいま90歳。軍人がだいぶ威張っている時代だった、当時のお金で300円を持ってでかけた、というお話をうかがえたことは、わたしたちにとってさいわいでした。
 旧制高商を母体とする国立大学法人の経済学部において、海外修学旅行を校史の項目として持っている教育機関において、そしてわたしたちの滋賀大学においても初めてとなった、所蔵資料をもちい、コンピューターやインターネットの特性を活かしておこなったこの海外修学旅行についての企画展示は、過去の彦根高商の、そして現在の滋賀大学彦根キャンパスのシンボルとなっている講堂の美しい水彩画を窓として入ってゆく1つの世界となりました。この世界をつくりあげるにあたって、彦根キャンパスには複数の部局や教官をつうじて、過去のそれぞれの時点における同時代のアジアについての図書や文献などの資料が集められてきたことを、あらためて知りました。そうした過去の資料は、代々の教職員の手作業によって整理され保存され、いまに伝わっているのです。こうした過去から現在にと送り継がれたおみやげを、今後どのように活用してゆくのかは、わたしたちが果たすべき課題としてあります。(企画展へのアクセス数は2,000を超えました。)