【2015/3/28 経済学部ワークショップの模様】

《近代滋賀県の産業発展と女性の労働・生活・教育》

滋賀県甲賀郡地方における近代女性の教育
と文化

坂尾昭彦 (湖南市立甲西中学教諭)

 2015年3月15日『甲賀市史 第四巻 明日の甲賀への歩み』を発刊した。 教育史と大衆運動史を担当した中から、近代滋賀県甲賀地方における女子教育の内容を中心に報告をおこなった。 以下、その一部を紹介する。

【県内唯一の女性首座教員・松田勝子】152〜155頁
 明治10年、滋賀県内681校には1387人の教員がいた。この内、女性の教員はわずか20校に23人だけであった。 首座教員(後の校長)ともなると、滋賀県内681校中、女性はわずか1人だけであり、その1人が信啓学校の松田勝子であった。 幕末、勝子は鳥取藩池田家の祐筆となり、多羅尾家家臣松田宗英に嫁いだ後、旗本の家臣の子女を対象に私塾を開き、 その束脩で宗英を助けた。私塾では習字・礼節を教授、特に女子に門戸を広くしていたため人気を博し、 「榮林堂かつ子」の名で知られた。維新後、息子の宗壽(後の甲賀郡長)と共に、多羅尾家の陣屋があった神山に移った。 明治4年に宗英が亡くなるが、勝子は村民に習字・礼節を教え続けた。明治8年、信啓学校が開校すると、 勝子は1人で50人前後の子どもたちを教えた。明治10年に実施された卒業定期試験で、 勝子は大津師範学校中川昌訓訓導より首座教員として成績が優秀であると評価された。 その後、勝子は大津師範学校生徒取締兼四等助教として迎えられ、脳溢血で倒れる明治30年まで滋賀県の女子教育に貢献した。 三井寺には教え子達によって建碑された「松田孺人碑」がある。

【水口図書館の開設】174〜176頁
 水口図書館は、1357円の寄付金と、1635部12,038冊の書籍を集めて、明治42年2月11日に開館式を挙行、翌日から閲覧を開始した。 水口図書館は、当時としては珍しい開架式図書館であった。また、子守文庫を新設し、閲覧室内に子守用図書を別置した。 普通教育を満足に受けることができない子守たちのために、修養の場を提供することとなった。 また、閲覧室の定員が50名であることから、4年生以上のクラスに学級図書館を設置した。 現在の学級文庫にあたるもので、学級図書館用書函に50冊の図書を配当し、毎月1回以上、本の取換を行った。

※例会では松田勝子、冨森幽香といった「内助の功」の女性たちの他、 大正新教育の中心となった水口高女や婦人会・処女会の活動などから「内助の功」への影響について考えた。
 (坂尾昭彦)