【2014/11/25 経済学部ワークショップの模様】

《現代における危機の諸相とその対応策》

大原孫三郎と原澄治にみる
経営者の社会的責任

早稲田大学非常勤講師  原 武治

  今回は「現代における危機の諸相とその対応策」を考える上できわめて示唆に富む戦前期の歴史的教訓に光を当ててみた。 1910年代〜1930年代にかけて、日本経済が不況と恐慌の連続に苦しむなかでも、 あらゆる分野における社会貢献を徹底して貫いた稀有の企業家として大原孫三郎が挙げられる。 今回のワークショップは、大原の思想と活動について、その名補佐役である原澄治の役割とともに、 多面的に明らかにしたものである。

 大原は、明治後期から倉敷紡績の経営に携わり金融業にも進出して大原財閥の発展をもたらすとともに、 利益金の従業員への分配、分散式の労働者寄宿舎の建設、企業内学校である倉紡工手学校の運営等、 労働理想主義に基づいた企業経営を貫いた。また出身校の東京専門学校(現早稲田大学)との連携を深めて、 大隈重信をはじめとした早稲田教授陣や社会的に著名な学者・言論人等を倉敷に招いて日曜学校を開設するとともに、 労働者の労働状態改善に関する研究委託を同校に委託するなどして、高等専門学校と連携した社会貢献の道を切り開いた。 これはさらに発展して、倉敷労働科学研究所・大原社会問題研究所、大原奨農会農業研究所、大原中央病院、 倉敷天文台等を次々に設立して、専門的な学問研究、調査を基にした社会貢献の実施へと結実していった。

 さらに畏友・石井十次が実践する孤児院の運営を長期にわたって支援するとともに、 親友・児島虎次郎の協力を得て欧州や東洋の美術品を大量に収集し、日本初の本格的西洋美術館・大原美術館を開館し、 さらに民芸運動の雄・柳宗悦を支援して民藝館の建設を可能にした。

 そして驚くべきことは、こうした多様な社会事業は今日まで脈々と途切れることなく続いていることである。 それを可能にしたものとして講演者が強調したことは、原澄治が常に大原の傍らにあって企業経営や社会貢献事業の際に適切な助言と助力を行い、 事業上の様々な困難や周囲との軋轢を緩和し、大原の最大の理解者であり協力者としてそれら事業の継続に力を尽くした点である。

 以上みたような大原と原の展開した企業経営と社会貢献の実践は、今日不況の中にあっても日本企業が従業員の福利を見据え、 しかも多様な社会貢献を継続させていくための大いなる歴史的教訓として貴重なものであるといえよう。 (文責:筒井正夫)