【2014/6/19 経済学部ワークショップの模様】

《彦根の現代史を学ぶ》

彦根農林水産業の戦後史
−過去に学びつつ未来を考える−

野田 公夫 (京都大学名誉教授)

  本報告では、聞き取り調査に応じて頂いた方々の「語り」を通じて彦根農林水産業の戦後史を振り返った。 終戦後のチャレンジングな10年余を経て、高度経済成長期が大きな転換点となり、 農林水産業は種々の困難と悩みを増大させてきた…その過程を「当事者の肉声」を通じて振り返り、 そこから未来へのヒントを汲み取ることを課題にした。

 終戦とともに米のみならず多様な農業への挑戦が始まった。興味深かったのは「蔬菜も畜産も女性のがんばりで支えられ」 「終戦直後の農協婦人部は力があった」という話である。戦前には米以外の農業は全て「副業」であり 「妻の仕事」と看做されてきた。このことが「副業」に光が当たった戦後に女性たちを主人公に押し上げたのである。 彦根農業の基本的特徴は精力的な土地改良・圃場整備を土台にして米農業中心地として発展したことであるが、 その過程で二つの「衝撃」を被った。農薬(農業)こそ琵琶湖環境の破壊者だという社会の批判に直面したこと、 および中軸作物である米の「強制減反」である。

 彦根林業の戦後は山中に放置されていた戦時伐採木の活用から始まったという話が面白かった。当時、 燃料需要は大きく「薪炭は売れ」「植林熱」に湧いたが、転機は農業よりも早く「外」から来た… 「昭和40年過ぎ、武奈にまで農協がプロパンを持ってきたのを見てもうだめだと思った」のである。 薪炭の代わりに「シイタケに取り組んだが今度は中国から入ってきた」。しばらく山で頑張ったが、 結局「山を下り」た。「子供の教育は大きいところで、自分は通勤林業でと割り切った」のである。

 他方、終戦直後の活況は水産業も同じであったが、乱獲が早期の減産に結果したところに違いがあった… 「漁業組合員も多すぎた」という。乱獲には対処策もあり得たが、しかしその後進行した琵琶湖環境の悪化には為す術がなかった… 「お手上げだった」「琵琶湖が死んでいった。だんだん悪くなった。今あるのは昔とは違う『暗い琵琶湖』だけ。 子どもに後を継げとはとても言えなかった」。

 最後に、以上のような苦難を経て、未来に繋がる考え方や実践が形をなしてきたことに目を向けたい。 とくに「第一次産業内部の環境加害者」になった農業の側から減農薬農業や琵琶湖(水産業)との共存などの必要が自覚され、 「社会の中の農業」という新しい農業像…「魚を養う田んぼ」「教育に貢献する農業」等々…が育っていることが重要である。 さらに、これまでの大経営育成一本槍ではなく、「地域的な補完関係」の大切さが強調されてきていることも興味深い。 中心的な農業者の「語り」に顕著なこれらの変化に注目しその内容を深めていくことは、 農林水産業全体が「環境保育産業」としてリニューアルされ「社会の共通財産」として新たな意味を獲得していくうえで大きな一歩となるように思われる。   (野田公夫)