【2014/5/15 経済学部ワークショップの模様】

《彦根の現代史を学ぶ》

彦根から世界が見える

上野 輝将 (元神戸女学院大学教授)

 演者が携わった「新修彦根市史」の編さん大綱では、「市民にわかりやすい市民の市史をめざす」 (編集の視点@)ことや、「市域・県内のみならず、全国的・世界的視野をもって、広範囲に資料を収集する」 (同E)ことなどを掲げている。本講演では、この2つの「視点」を念頭に、彦根の現代史に登場する2人の「無名」 の個人の行動を分析し、その歴史的意味を考えた。

 一人は、朝日新聞(滋賀版、1946年2月23日)の短い記事に登場する仏像泥棒である。明性寺の本尊阿弥陀如来像を 盗もうとした犯人は、寺の住職らに発見され捕まった。犯人は、原爆で破壊された広島の寺の住職(同宗派)であった。 敗戦間もない時期に、なぜ彦根まで仏像泥棒にきたのかなど謎は多い。当時は、原爆の悲惨な実態報道は占領軍に禁止されていたが、 この記事は、原爆の「小さな」、しかし世界史的な波紋が彦根にも及んでいたこと、そして、物理的な破壊力や原爆病だけでなく、 精神的・文化的被害も見落とせないことを示している。

 もう1人は、1954年6~9月の近江絹糸人権争議に積極的に参加したカトリック信者の少女労働者(16歳)である。 会社組合の機関誌に感傷的な詩を書きつらねていた彼女は、争議勃発後真っ先に参加した。「歴史は生きている。 私たちも生きている。世界は毎日動いている。私たちも真に生きようと闘っている」など、現代「世界」を意識した文章を書いている。 こうした行動の背景には、カトリック彦根教会とともに、満州引き揚げ者という戦争体験があったことを、争議後の詩が示唆している。

 2人の人物の行動は、前者は市史原稿のコラムに書いたが、紙数の関係上、後者は割愛した。どちらも、ある意味、歴史に「翻弄」され、 また、歴史を「作った」人でもあった。「無名」ではあるが、彼らの行動を通して「世界史」というものが浮かびあがってくる。 自治体史では、個人は有名人やエリートは別として、「無名」の人々は登場しない。しかし、「無名」の市民や庶民にあっても、 「世界史」はそれなりに反映している。そのような観点から市史に取り組むことが、編さん大綱の精神であろうと、演者は理解している。   (上野輝将)