【2014/1/9 経済学部ワークショップの模様】

<フクシマ以降のエネルギーを考えるU>

言葉の環境問題

アーサー・ビナード (詩人)

生卵を割って油を引いたフライパンに落とし込んで焼いた料理をなんと 呼ぶか。英語ではsunny side upと呼ぶ。黄身は「太陽」に例えられる。ところが、日本では それを「目玉」焼きと呼ぶ。来日して間もないビナード氏は、日本語の「目玉」と英語の 「太陽」のずれに驚愕をする。

彼はこれを「母語のレンズ」と呼ぶが、この言葉のレンズを通して見ると、物事は全く 違った様相を見せる。

アメリカで育った彼は、「広島と長崎の2発の原子力爆弾は戦争を終わらせるためにやむ を得ず必要だった」と学校で教わる。しかしながら、「やむを得ず」と「2発」がどうもつ ながらない。3日も空けずにやむを得ず2発とはどういうことだろうか。

広島で、ピカドンあるいはピカという言葉に出会い、謎が解け始める。あれをピカドン (あるいはピカ)と呼ぶのは「落とされた側」の視点だ。「原子力爆弾(atomic bomb)」 はエノラゲイから落とす側、「核兵器(nuclear weapon)」にいたっては遠くはなれた本土 で命令だけを出す人の視点だ。

広島はウラン爆弾、長崎はプルトニウム爆弾。「やむを得ず2発」のウソを見抜くヒント はここにある。

  ☆ ☆ ☆

アーサー・ビナード氏は詩人である。言葉の意味や背景を正確に探りながら、最も適切な 言葉を選び取る。それは詩人としては当然の作業なのだろうが、私は密かに「言葉の科学者」 と呼んでいる。

今回の講演会では時間切れで聴くことはできなかったが、彼は各地の講演会で、「除染」 や「運転再開」という言葉の欺瞞性をよく話題にする。

福島における放射能の「除染」は、確かにその場から見れば除かれるのであるが、削り取 られた表土はどこかに移され仮置かれる。視点を変えれば、それは「移染」でしかない。

「再び動かす」ことを、動かしたくない人は「再稼働」とよび、動かしたい人は「運転再 開」とよぶ。「再稼働」と聞けば反対という言葉が頭の中でエコーし、「運転再開」という言 葉を使えば人身事故で止まっていた電車が動き出すからだ。

言葉のレンズを悪用して歪めようとする人がいる一方で、透徹した彼のレンズは鮮やかに 対象を映し出す。精緻な科学者として政府資料や科学論文も読み込む一方で、言葉が生成する 生の現場で人の気持ちに耳を澄ます。アルフレッド・マーシャルの「覚めた頭脳に温かい心」 を思い出した。
 (文責:中野桂)