【2013/10/5 経済学部ワークショップの模様】

《近代滋賀県の産業発展と女性の労働・生活・教育》

近代滋賀県の労働力移動の展開と役割
−女性紡績労働者を事例として−

亀井大樹(大阪大学大学院博士課程)

 本報告は、ワークショップ「近代滋賀県の産業発展と女性の労働・生活・ 教育」の第3回目を「近代滋賀県の労働力移動の展開と役割−女性紡績労働者を事例として −」と題し開催した。

 2013年10月現在、滋賀大学のホームページには、「ランキングで見る滋賀県」と題して、 滋賀県が誇る全国上位の様々な事象が紹介されている。その中の一つに、滋賀県の人口増減 率は全国3位であることが挙げられている。ここ20年間、全国的にみて、滋賀県の人口増加 率が高いことはよく知られている統計的な事実である。このような傾向は、どのようにとら えればいいのだろうか。本報告の目的は近代滋賀県の人口・労働力推移を把握することで、 今日の滋賀県の位置を考えるための一助としたい。

 まず、「滋賀県統計書」から、近代以降、滋賀県のあらかたの人口推移を追ってみた。近 世以来近江・滋賀県は近江商人の輩出地であるので、その人口・労働力移動は高いものであ る、と推測できる。浮かび上がった特徴とは、日露戦後から大正期にかけて滋賀県人口が減 少していることである。この人口減少は自然減少ではなく、社会減少によるものであった。 とりわけ特徴的なのは、女性労働力が県外に流出している事実である。大正期、滋賀県から 流出した人口比率は、およそ男性6割、女性4割であった。女性の出稼先は、主に「工業」 に従事し、中でも、紡織業に従事していた。

 次に、以上のことを踏まえた上で、事例研究として、明治20〜30年代の滋賀県から大阪へ出 て行った紡績女子労働者を取り上げた。

 明らかになったことは、第一に、能登川を拠点としていた阿部家を中心に有力な近江商人 が大阪で中糸紡出と金巾(薄地の綿布)の製織を一貫しておこなう金巾製織会社(現・東洋 紡)を明治21年に創設する。専務取締役には、日野出身の元滋賀県勧業課長であった田村正 寛が就任した。当時、各紡績会社は労働者不足に悩ませており、争奪戦が激しくなっていた。 田村は日野にいる父弥平治に女性労働者の斡旋を依頼し、日野から大阪の金巾製織会社に向 かっていたことを明らかにした。

 第二に、明治30年代、工場労働者向けに発刊された『工手の母』という教化新聞の記事を 題材にとり、滋賀県から他府県へ出て行った女性労働者を紹介した。この記事は、勤勉な労 働者を称えるための簡単な記事であり、詳細な検討を要する性質のものであるが、当時、女 性労働者が置かれていた環境やキャリアを窺える貴重な証言の一つである。

 第三に、こうした女性紡績労働者の生活の様子をしるために、明治後期に撮影された寄宿 舎や女学校教室、裁縫室といった写真を紹介した。

 質疑応答では、滋賀県の明治後期から大正期の人口が減少ののち増加することの意義や、 町村是などの更なる資料を検討する必要であることなど、活発な意見交換が交わされ、盛況 であった。参加者は14名。 (文責:亀井大樹)