【2010/11/19 経済学部ワークショップの模様】

<Asian Studies Workshop 六>

聞きとり、オーラルヒストリー、ライフストーリーの方法
:ハンセン病療養所のフィールドワークから

石居人也(町田市立自由民権資料館学芸員)
阿部安成(経済学部教授)

 今回のワークショップは、調査と研究のフィールドにおける「聞き取り」という 作業をふまえた「オーラル」なテキストをどのように活用するか、それをめぐる論点を示すことを課題 とした。報告者の石居と阿部はこのところ、国立療養所大島青松園で史料の調査と整理をおこなってい る。その作業を第一の課題としてきたところ、2010年7月から10月にかけて開催された瀬戸内国際芸術 祭2010をめぐって、「聞き取り」という作業をおこなうこととした。きっかけは、その芸術祭で、大島 青松園で実際に使われていた解剖台があらためてアート作品として展示されたところにあった。

 ハンセン病をめぐる国立療養所で療養者が死亡したときに解剖がおこなわれたことが知られている。 それが強制だったことも――もう少していねいにいえば、強制による承諾をふまえた解剖があったこと も知られている。その解剖がおこなわれた備品が残っているのは、おそらく日本国内では大島青松園だ けということだった。この解剖台が展示作品として提示されたことで、園内ではさまざまないくつもの 会話がなされた。その一班を記録することがわたしたちの目的だった。調査と整理のために大島にゆく たびに会う在園者からあらためて「聞き取り」という作業をおこなってみると、「聞き取り」について 多くの議論を経なければ、「オーラル」なテキストを史料として保存することも活用することもむつか しいだろうと、わたしたちは考えるようになった。

 現在、「聞き取り」という作業をふまえた「オーラル」なテキストは、1970年代から1980年代までの ころにくらべると格段にそれをめぐる研究環境がかわっている。ハンセン病をめぐってもその議論がほ んの少しおこなわれるようになり、また、「オーラル」なテキストが史料集として編まれ刊行されるよ うにもなった。記録として「オーラル」なテキストを残す事業もいまだ充分ではなく、また、それをど のように採取、保存するのか、そののちに活用するのかの方法についてはなにかしら論点が共有される ようになっているともいいがたいのが現状である。

 わたしたちが提示した論点は、1つに採取した「オーラル」なテキストを、たとえば史料集として編集 し公刊するときの手立てであり、(それがほとんど無手勝流でおこなわれているがゆえに)、2つには 「オーラル」なテキストをめぐる議論を従来の文字史料にも拡大して、史料論と叙述の方法へと議論を 広げてゆこうとの提起にあった。「聞き取り」の手順や手続きをめぐる議論はあるが、その成果を編集 し公開するときのルールはどのようになっているのか、「オーラル」なテキストをめぐるリアリティ、 表象、聞き手と語り手のあいだに生じる権力や暴力についての議論があっても、そこで示された論点が、 歴史研究者がなじんでいるはずの文字史料にもどのように及んでくるのか。

 史料としての「オーラル」なテキストが登場してから、もうかなり長い年月が経っている。研究者が 着目しようがしまいが、だれもが話してきたのだから、ナラティヴは、あった。21世紀になってからの この10年で、「オーラル」なテキストにかかわる議論は、学会においても個々の研究者それぞれにとっ ても、ずいぶんとかわってきている。歴史をだれのものとするのか、歴史を記したりあらわしたりする 作業をだれの職分とするのか――どのような形態であれ、歴史を知ろう、描こうとするものが用いるテ キストはつねに、それをみたり読んだりするものにその取扱説明書をきちんと作成せよと問うているの である。                         (阿部安成。出席者6名)