【2009/11/27 経済学部ワークショップの模様】

<Asian Studies Workshop 伍>
『「満洲」経験の社会学』を読む/語る

坂部 晶子
(島根県立大学総合政策学部准教授)

  今回のワークショップは、『「満洲」経験の社会学:植民地の記憶のか たち』(世界思想社、2008年)をお書きになった坂部晶子さんをお招きした。ワークショッ プは、まず、阿部が、「多声のエスノグラフィを記述する試み:生きられた「満洲/満洲国」 経験を日本社会と中国東北社会で聞く」の論題で同書の論評をおこない、それに坂部さんが 応答するという順序ですすめられた。

 今回は、阿部が研究代表者となっている2009年度科学研究費補助金基盤研究(C)「第二次 世界大戦後の「満洲引揚げ」とその歴史意識についての実証研究」による活動の一端であり、 はじめにその課題とそれにかかわる研究動向が阿部によって示された。この研究は、@滋賀 大学経済経営研究所が所蔵する「満洲引揚資料」とはなにかを明らかにすること、Aこの資 料をもとに「満洲/満洲国」「引揚げ」「戦後」をめぐる歴史意識を論じること、BAにかか わって近年の「記憶」をめぐる議論を参照すること、を課題としている。これらのことを考え てゆくにあたって、坂部さんの著書は格好の教科書となる。

 坂部さんは同書をとおして、@「生きられた植民地経験」を再構成するために、A2つの言 説空間((戦後)日本社会と(開放後)中国東北社会)をフィールドとして設け、B「植民 者、被植民者の生活世界の再構成と彼らの記憶のかたちについてのエスノグラフィを描きだ す」という仕事をおこなった。しかもそのエスノグラフィは、「輻輳」「多層」「多様」「 多声」の語で形容される、複数の経験をもとにした記憶の語りによって構成されることとな る。

 この著書を批評するときの3つの論点が提起された。@戦後の日本社会と中国東北社会に共 通するという、「記憶の統合への圧力」とは、ナショナル・ヒストリーやマスター・ナラテ ィブとのかかわりでどのようにあらわせるのか、A坂部さんのエスノフラフィの核となる「 多声」性とは、なにを撃つのか、Bそして同書があらわされたことにより、従来のたとえば 、戦前回帰の主張や理解とマルクス主義実証史学による帝国主義批判といった議論の対抗が、 どのようにかわったのか、がそれである。

 わたしは、坂部さんの著書を読んで、そこに示された、中国からの帰還者が日本と中国と にみせる「二種類の自己呈示」や「複雑で屈曲した語り」を理解するための聞きとり作業が 「現在進行形」でおこなわれているということに、歴史を理解するための展望が開けている との思いを抱いた。また、わたしの批評についての坂部さんの応答を聞きながら、過酷な、 あるいは、稀有なといってよいだろう「満洲」経験をした人びとの、政治性を持たない、日 常生活に沈潜する、断片としての記憶――それは当事者にとってはとても大切な記憶でもあ る――を記録することが必要であるとあらためて教わったと感じた。                              (阿部安成。出席者4名)