【2009/11/12 経済学部ワークショップの模様】

Economics Workshop 2009

Incentives in Hedge Funds

松島斉(東京大学教授)

  報告は19頁の要約を用いて行われた。出席者は12名 。論文は2010年2月、東京大学金融教育研究センターの ワーキングペーパー(CARF-F-205)に収録され、現在 、全文がホームページから利用可能である。日本経済 新聞の「経済教室」(2010年6月28日)に松島氏自身に よる解説がある。
  主題はヘッジファンドの理論モデルの構築である。 具体的には以下のような二主体間の資金運用委託に関 する報酬契約の設計問題が解かれている。すなわち、 危険中立的な二主体がいて、一人は投資家であり、一 定の資金を持つ。他の一人は運用者で、投資家の資金 を運用して正常収益率を超える収益(アルファ)を稼 ぐことが期待されている。ところが、潜在的な運用者 には本物と偽者の二つのタイプがいて、アルファを稼 ぐのは前者だけであるが、各運用者のタイプは本人に しかわからない。また、両タイプとも偽装運用技術を 使うことができ、運用の実態は本人の私的情報である 。(ここで、偽装運用技術とは、本物の運用者の予定 運用収益と同じ事後収益を一定の確率で生成する派生 証券群を作って売るスキルを指す。例えば、本物の運 用者が1の資金を確実に1.5にできるとすると、偽者の 運用者は確率2/3で1.5を、確率1/3で0をもたらすくじ と、手元の1の資金とを交換することで、1.5という本 物の運用者の収益を確率2/3で模倣できる。)ここでの 基本問題は、運用者のタイプと行為に関する非対称情 報下で、投資家と本物の運用者の参加を確保し、偽者 の運用者には参加を断念させ、本物の運用者には偽装 運用技術を使わせずに、社会厚生を改善する資金運用 を行わせるような報酬契約を設計することである。
  ところで、運用者に自己資金を預託させ、運用収益 が目標値に達しないときにそれを没収するという罰金 制度を導入すれば、本物の運用者は確実に目標値をク リアするので罰金支払いはなく、他方、偽者は一定の 確率で偽装に失敗し、自己資金を没収されることにな るので、罰金制度の強化によって、偽者のみを容易に 排除できそうに思える。しかし、自己資金の預託は本 物の運用者にとって、その資金を自己運用していれば 得られたアルファの機会損失を伴う。この費用は偽者 にはないので、罰金制度の強化はこの面では本物の運 用者の参加費用のみを高める。したがって、単に罰金 制度を強化すれば偽者だけを排除できるとは限らない 。
  松島氏は上記の基本問題を解く報酬契約が存在する ためには、キャピタルゲイン税率が正でなければなら ないこと、運用報酬に所得税を課すと、運用者は社会 的に望ましい報酬契約を進んで選択すること、などを 示している。これらは、Lo(2001)、Foster and Young( 2009)などの先行研究における議論の文脈を踏まえ、諸 課税がヘッジファンドの誘因構造に影響する経路を分 析するための理論的枠組を提示した点に貢献がある。
  以下は評者の感想である。
  第1に、論文ではキャピタルゲインや運用報酬への 定率比例税が与件とされ、それに対して運用者の報酬 契約が計算されている。この税制の特定化は、現実性 、簡単さ、先行研究との接続等に配慮した選択として 理解できるが、本論文の中で可能な移転制度の種類は 遥かに多様である。比較的単純な税制のクラスに議論 を限定するとしても、例えば、運用資産がアルファを 稼ぐときにだけ、一定の税率で運用規模に比例して課 される税は、運用努力の限界条件に影響を与えない点 で、一層、望ましい性質を備えているかもしれない。
  第2に、論文に従うと、本物の運用者は無税の環境 よりも、正のキャピタルゲイン税や所得税のある環境 を敢えて選択することで、自身が本物であることを顕 示するはずだが、現実の多くのヘッジファンドはタッ クスヘイブンに立地している。これらは偽者と考える べきだろうか。ヘッジファンドは税制を含めた報酬制 度の選択を通じて間接的に自身が本物であることを示 すのではなく、資金提供者との長期的な関係や対話な どによって直接的に自身の運用力に対する信頼を獲得 しているのかもしれない。また、チームとして機能す るヘッジファンドは監視のための内部構造を作ること ができる。例えば、複数の運用者(クラス1)に、自 身の報酬の総額を預託させてその範囲で資金を運用さ せ、同時に、他の上級の運用者(クラス2)がクラス 1の運用者全体の運用手法を監視して、成績の悪い者 を排除し、成績の良い者の運用に合わせて多額の資金 を連動運用するという仕組みが考えられる。この場合 、クラス1の成績の良い運用者は自分の預託金の範囲 で運用しながら、実質的に影響を及ぼす資金の運用規 模はずっと大きなものになっている。
  本論文の骨子は明快で、かつ、興味深い細部の定式 化を含み、教えられる点が少なくなかった。  (経済学部准教授 井手一郎)