【2009/3/16 経済学部ワークショップの模様】

Asian Studies Workshop 四
ハンセン病表象としての映画「小島の春」
−人びとはそれをどう観得たのか

石居人也(町田市立自由民権資料館学芸員)

  国立療養所長島愛生園の医官である小川正子(1902年生‐1943年歿)が1938年に執筆した『小島の春』(長崎書店)はベストセラーとなり、また映画ともなって1940年12月の『キネマ旬報』で第1位となった。石居さんの報告は、文字テキストをふまえながら、この「小島の春」という映像作品をとおして、ハンセン病がどのようにあらわされているのか、そこにはハンセン病をめぐるなにがあらわれているのか、を問いとしていた。
  この問いの始まりには、1996年の「らい予防法」廃止という出来事によってわたしたちの社会に横溢した「隔離」批判への疑義があるという。そこでは、「隔離」の制度をつくりそれを運用したものたちへの批判があっても、「隔離」を容認し支持した「わたしたち」を問題にしえていないというのである。
  石居さんは、ていねいに、細かく映像をみつめ、映画「小島の春」は複数の立場からの複数の論理が交錯する場となっていると指摘した。そのうえで、主人公である小山先生(=小川正子)が最後の場面でみせる表情は、「「隔離」の正当性に対する逡巡ととることもでき」、そこに「「隔離」を掘り崩す/無自覚に「隔離」を推進する側に立つことに留保をつける可能性」をみた。不当な、といってよい隔離を推進するとともにそれへの躊躇をみせる、そこに、無自覚なままに隔離の趨勢に同調してきた(している)わたしたちの活路を見出そう、という論点となろうか。
  映像というテキストは、みるたびにあたらしい発見がある、一望のさきに多様な複数の情報が籠もっているメディアである。ただし、だから読み取り方はいろいろあるというだけでは、それを読解したことにはならない。わたしの映画「小島の春」の見方を示すと、わたしには、息子を療養所に入れることを容認した「宮田」のような人物が気にかかる。わが子であっても、彼が隔離されることに戸惑いをみせない父(少なくとも映像ではそうなっていた)。そうした人物が増えることが「絶対隔離」を進めるために必要であったはずだ。専門の知識を持った医者ではなく、隔離を受容する市井のひとびとに安心を与え、さらなる同志を増殖させてゆく、その意味で「小島の春」はプロパガンダといえるようにおもう。
  また、「わたしたちの」問題として隔離を考える、という問い方――これは前回の西浦報告でも論点となった――これでは、@「自己批判」という従来からある批判の型から抜け出せず、Aそのままでかえって議論が拡散してしまい、なにも問えなくなるのではないか、という危惧をわたしはもっている。
  「らい予防法」廃止から10年以上を経て、あらためて療養所の将来構想が議論されるなかで、歴史において、あるいは、歴史として「癩」「ハンセン病」を問う、その問い方の検証が依然として必要となっている。                         (阿部安成。出席者4名)