【2009/3/4 経済学部ワークショップの模様】

Asian Studies Workshop 四
企画展「ちぎられた心を抱いて:隔離の中で生きた子どもたち」を開いて

西浦 直子 (国立ハンセン病資料館学芸員)

  西浦さんは、国立ハンセン病資料館の2008年度秋企画展となった「ちぎられた心を抱いて」展の企画立案をおこない、その展示を実施した。このワークショップでは、企画を担った当事者として、報告の副題にあったとおり、西浦さんは、「病む子どもたちの姿と声から、人を恋う心、痛む心をいかに伝えるか、そこからいかに見る者の心の共振を呼び起こすか」を論点とする報告をおこなった。
  この展示は、かつて療養所のなかにいた子どもたちが当時書いた手紙や作文などと、かつて子どものころに療養所に入り、いまもそこで生活をつづけているひとが思い起こした療養所での子どものころのようすの聞き取り、そしてかつての療養所のなかの子どもたちを写した写真によって構成されていた。展示会場には、写真やモノよりも大量の文字が並んでいた。写真の説明として文字を置いたのではなく、あくまでも文字による展示から「想起される思い、その状況」を示すところにねらいがあったという。
  あらためて展示のようすを画像でみせられると、実際に展示の場に立ってあれこれみていたときとはちがってみえたり、そのときわからなかったことを気づかせられたりした(この点で、資料館などで過去の展示のようすをWEB上でみられるようになっていると、ありがたいとおもった)。文字による展示、あるいは文字としての展示といってよい構成は、資料館での展示とはいえみづらいかもしれない。だが、来館者は予想に反して、とても多かったという。
  立案当初は、「療養所のなかでしか生きられなかった子どもの日常のたのしみ、さみしさのありか」を伝える展示にしようとしたが、調査をかさねるうちに、「引き裂かれたことの傷、親や自分の家を慕い続けた記憶、その連続を表現」しようと変わり、さらに、ハンセン病をめぐるさまざまな忌避が知識によって超えられないのならば、その避けたり嫌がったりする気持ちを超える「気持ち」をみるものが持てる展示をつくろうとしたと、展示実現までの経緯を明かした。もとより一切の主張や立場の表明のない展示はありえないわけだが、展示をみるものがなにを考えるのか、どのように感じるのかをめぐって、そのゆくえがあらかじめ明確に企図された展示となったのである。くりかえせば、このこと事態は、なにも展示として奇異なことではない。
  ディスカッションでは、ここが1つの論点となった。展示に、企画者の思惑やねらいや、ばあいによっては誘導が籠められることはある、としたうえで、それをどのように、どこまで表現してよいのか、が問われた。この点は、1つには、ハンセン病資料館の歴史をふまえて考えることとなる。国立ハンセン病資料館は、かつて高松宮ハンセン病資料館という名称で、多磨全生園に在園する当事者によって、展示の構成が企画されていた。それが国立になり、専門の学芸員が配置されて展示にあたるとなったとき、学芸員たちは「非当事者」である自分たちが、どのようにハンセン病の展示をおこないうるのかと自問するところから始まったという。
  展示という表現をめぐる可能性や責任、あるいは展示がもたる効能や効果のはかり方がおもに議論されたワークショップだった。                 (阿部安成。出席者7名)