【2008/12/3 経済学部ワークショップの模様】

Texture in Cultural Backyard V
「肝苦さ(ちむぐりさ)」を観る

土江真樹子 特任准教授

  このワークショップでは、戦後60年の2005年に放送されたドキュメンタリー番組「肝苦さ」(ちむぐりさ)を素材とした。タイトルにある「肝」とは、心臓と胃のあいだくらいにある架空の臓器を指す。その肝の苦さとは、心が痛むようすをあわらす、沖縄の言葉である。土江はこの言葉を、沖縄の読谷で集団死を体験した人物から教えられたという。一生そのひとのまわりにあり、肉体をかけめぐり精神を蝕んで死ぬまで消えない肝苦さ。沖縄でも世代によって使い方が異なるようだが、年配者にとって肝苦さとは、一人称で語られる心性、つまり、「わたしの」ものなのだという。ドキュメンタリー「肝苦さ」は、沖縄戦を体験していまも読谷に暮すふたりと、兵士として沖縄戦を戦った米国人たちとの、それぞれの「肝苦さ」を映し出した映像記録である。

 民放のドキュメンタリー番組は、深夜に放送されていたり新聞のテレビ欄にその内容が記されることが少なかったりして、わたしは見逃すことが多い。2005年にNHK総合で放送されたNHKスペシャル「沖縄 よみがえる戦場:読谷村2500人が語る地上戦」はみたが、この「肝苦さ」は放送されたことすら知らなかった。ここにはNHKスペシャルと同じ人物が、自己の集団死体験を証言している。「肝苦さ」にはもうひとり、いまだに自己の体験を話すことができない読谷のひとが記録されている。ここにはまた、NHKスペシャルではまったくとりあげられなかった、沖縄戦を体験した米国人兵士と、さらにその子も記録されている。戦争体験がいわば負の遺産として子にも受け継がれてしまい、兵士の子は自分に自信の持てない、閉じこもりがちの生活をすることとなった。「肝苦さ」はひとの死とともに消えず、その子が受け取ってしまったのだ。

 他方で、それぞれの「肝苦さ」は、それぞれのものであって、共感や共有はなかなかに困難だ。それどころか、日本政府は「沖縄戦」という呼称すら認めていない。沖縄島における戦争とみることで、それを戦争一般に解消しようというのだろう。沖縄戦をめぐる「肝苦さ」について、読谷のおばあは、戦後60年を経てもいまだに自分の体験を話せないおじいの「肝苦さ」が少しわかるという。ワークショップでは、ドキュメンタリーという映像には記録されなかった、たくさんの「肝苦さ」をめぐる事情も披露され議論された。わたしにとっては、「肝苦さ」が一人称で語られることを知り、それがこれからの思索の1つの始まりとなると感じられた。                 (11名。阿部安成)