【2008/11/13 経済学部ワークショップの模様】

Texture in Cultural BackyardV
物語をどう読むか
─ナラトロジーの観点から<語り>の問題
を考える─

前田彰一(千葉大学名誉教授)

  このワークショップでは、探偵小説(及び推理小説)における「語り」の問題について、『物語の構造―「語り」の理論とテクスト分析』(岩波書店、1989年)と『欧米探偵小説のナラトロジー―ジャンルの成立と「語り」の構造』(彩流社、2008年)を軸に、物語理論(ナラトロジー)の@「語り」の問題、A叙述様式の問題、B「時間」の問題の三つの観点から議論がすすめられた。
  F. シュタンツェルの物語理論によると、「語り」の手法は大きく三種に分類される。古典的小説の手法である全知の「語り手」による「語り」、自伝的小説や回想的小説に多く使用される「私」が語る一人称小説の「語り」、そして19世紀後半になってあらわれる「映し手」による描写法である。第三の手法では、「語り手」が消去され、作品中のある特定の人物の眼や意識を通して、物語の現実が映し出される。このことによって、読者は作中人物の眼で小説の世界を眺めているような錯覚を抱くことになる。この手法は、フローベール以降、ジェームズ・ジョイスやヴァージニア・ウルフにより推し進められ、現代小説の主流として確立された。
  前田彰一氏は、第一の手法について、トルストイ、セルバンテス、ゲーテなどによる古典作品を例に、神の視点(全知の視点)から人格化された語り手として、物語に口をはさむことができる三人称形式の「語り」について議論を展開した。第二の手法については、「体験する私」(過去の「私」)と「物語る私」(年老いて過去を回想する「私」)という二極構造があり、この二極化がダイナミズムを生むと分析。その上で、現代小説では二極化がない手法も登場していると言及した。例として1964年に翻訳された『ライ麦畑でつかまえて』と2004年に村上春樹の新訳で話題になった『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を挙げ、両者を比較すると、とりわけ後者では二極構造が解消し「体験する私」が同時に「語る私」であるというレトリックを利用することで、読者に共感をよぶ効果が生まれていると分析した。
  次に、物語の叙述様式としての「要約」と「場面」について分析がなされた。「要約」とは、たとえば小説の冒頭で主人公や、その小説の時代や社会について、必要な情報が「要約」されていることをしめし、これは読み手に必要な情報を簡潔に述べる手法である。「場面」とは、場面的に描写することで読み手に緊迫感や臨場感を伝える手法である。一般的には、小説は「場面」→「要約」→「場面」→「要約」の繰り返しで築かれていることが、ヘミングウェイの『殺し屋』などを例に説明された。
  「時間」の問題については、「物語られる時間」(物語内容の時間)と「物語る時間」(物語言説の時間)の区別を取り上げ、時間省略法の技法を例に議論が展開された。多くの小説では、「物語られる時間」のほうが「物語る時間」よりも長い。数年間にわたる出来事について、数行で手短に述べられるような手法である。逆に、ジョイスなどによって試みられた「意識の流れ」の手法の場合、たった数分、数時間の出来事を描写するために数十頁もが費やされている。つまり、「物語る時間」が「物語られる時間」よりも長いケースとなる。
  ワークショップでは、これらの物語理論をふまえたうえで、エドガー・アラン・ポーに始まる探偵小説の語りの手法が分析された。前田氏は、伝統的な探偵小説の語りの枠組みを、最初に謎解きの提示があり、終わりにその謎が論理的に解明されることと定義し、議論を展開した。しかし、倒叙推理小説ではその形式が逆転され、読者は小説冒頭で犯罪が行われるのを見、犯人の人物像を知り、犯行の動機、犯行の経過など、すべての情報を入手する。つまり、倒叙推理小説では、伝統的な探偵小説及び通常の推理小説の醍醐味である「謎解きの楽しみ」は目的とされていない。倒叙推理小説は、犯罪者側の視点から書かれる手法がとられることが多く、読者は犯人の内面心理に踏み込み、犯罪者に感情移入し、犯行をある種の共感を持って追体験する。この倒叙形式が、倒叙推理小説を単なる「謎解きゲーム」とせず、倒叙推理小説の文学性を高めているのではないかと議論が展開された。倒叙形式を採用して書かれた推理小説としては、東野圭吾の『容疑者Xの献身』が分析された。
  ワークショップでは、松本清張、フランシス・アイルズ、江戸川乱歩、オースティン・フリーマン、ヴァン・ダインなど、探偵小説・推理小説の豊富な具体例が挙げられ、議論が展開された。本格派推理小説や、歴史的事件を題材にした「探偵実話」についても、出席者を交え議論が活発におこなわれた。(文責:菊地利奈)