【2008/11/13 経済学部ワークショップの模様】

――近現代地域問題研究会――
「旧彦根藩士西村捨三における平安遷都千百年紀念祭─明治中期における京都と彦根─」

鈴木栄樹
(京都薬科大学、彦根市史近代史部会長)

  明治28(1895)年4月から7月にかけて京都市岡崎で開催された第4回内国勧業博覧会、そして当初は4月30日に挙行される予定であった平安遷都千百年紀念祭(臨幸予定の天皇の病気のため10月22日に延期)という〈京都の祝祭〉には、維新以来四半世紀を迎えた京都の新たな飛躍への願いと期待とがこめられていたといえる。この〈京都の祝祭〉の実行に深く関わった人物が、旧彦根藩士の西村捨三であった。西村は農商務次官として第4回内国博の京都での開催に尽力するとともに、元府知事を務めた大阪府、郷土の彦根を含む滋賀県など、東は愛知県から西は広島県まで、当時鉄道で結ばれつつあった地域において、〈京都の祝祭〉とリンクした府県連合事業を企画した。同時期、西村は旧彦根藩領で、近江商人の発祥地でもあった湖東地方における鉄道事業を大東義徹ら旧彦根藩士、有力商人たちともに企画し、組織された近江鉄道株式会社の中心となった。のちに大阪築港に余生を捧げた西村は、〈京都の祝祭〉という好機をとらえ、維新以来沈滞していた彦根を中心とする湖東地域の復興、具体的には湖東地域から京都、そして大阪(港)を経て海外へ向かう物資の移動ルートを構想していたように考えられる。他方、皇室や井伊家を尊崇するとともに忠臣や義人の顕彰にも熱心であった西村は、すでに大阪府知事時代に四條畷神社の創建を実現させ、遷座祭での神幸列を演出していた。さらに西村は、平安神宮の創建にも深く関わり、第4回内国博終了後、10月に延期開催された遷都紀念祭の余興として時代行列(現在の時代祭)を案出、さらに近江鉄道の開業式が挙行された明治34年には、故郷の彦根での井伊直政開城三百年紀念祭での神幸列を企画、実現させた。四條畷神社への参詣鉄道の建設にも関わった西村は、物資の移動のみでなく、観光(人の移動)による地域の復興のための鉄道事業にも着目していた。そして西村にあっては、こうした地域の開発と尊王的なナショナリズムの発揚とが渾然一体となっていた。