【2008/10/2 経済学部ワークショップの模様】

――近現代地域問題研究会――

「琵琶湖疏水建設の歴史的意義
−建設の経緯と京都経済発展との関連から−」
   白木正俊 (琵琶湖疎水記念館嘱託研究員)

「琵琶湖疏水は通り、近江上布は衰退した」
   筒井正夫 教授

1.白木正俊「琵琶湖疏水建設の歴史的意義―建設の経緯と京都経済発展との関連から―」

 琵琶湖疏水記念館の研究員である白木正俊氏から、明治25年〜45年にかけて、設計監督を担当した田辺朔郎技師をはじめ日本人だけの手によって完成された琵琶湖疏水建設事業について、建設の目的と工事の概要、京都ならびに大津に与えた社会経済的影響が詳細に報告された。京都の近代化については、当初の水車動力や舟運、田畑灌漑、飲料水や防火用水に供されたほか、特に水力発電所の建設によって、電気鉄道の敷設や電灯供給、さらに工業用電力として琵琶湖疏水は、多大な貢献をなした。だが、琵琶湖の取水口に当たる大津は、疏水工事にともなって、飲料水の水源の多くが絶たれたり水田用水が不足するなどの被害を被った。滋賀県や大津では、県令籠手田安定をはじめ多くの反対があったが、中井弘県令に代わってから疏水事業推進に転じたこと、また京都市による大津市民のための水道敷設工事の実施や滋賀県への「感謝金」支払等の対応策の経緯が明らかにされた。

2.筒井正夫「琵琶湖疏水は通り、近江上布は衰退した」

 この報告は、上記の白木報告を受け、滋賀県側が、なぜ琵琶湖疏水開通によって何らメリットが無いにも関わらず、中井弘県令の着任とともに疏水賛成に転じていったのかを考察したものである。報告では、疏水事業に対する賛成輿論の形成過程と、時を同じくして進められた大津における近江麻布紡織会社の設立並びにその後の原料輸入亜麻を用いた近代的工場生産による麻布生産の再編の過程とを、関連づけて論じたもので、そこに近江商人達の利害とまた高宮など旧来からの近江麻布の中心地が衰退していく過程とを結びつけて考察したものである。

 参加者は学生、社会人を含め38名で、報告後活発な質疑応答が行われた。 文責:筒井正夫