【12/1 経済学部ワークショップの模様】

―Asian Studies Workshop 弐―
「「満洲国」国立博物館の設立をめぐって」

 大出 尚子 氏(筑波大学大学院人文社会科学研究科)

 南満洲鉄道株式会社の設立から100年が経ち、ちょっとした「満洲」流行と指摘される昨今である。そしていまや「満洲」研究も、その担い手が若い第3、第4世代となっているという。いわば研究領域の開拓を第1世代から継いだ第2世代の研究者からすれば、このところの「満洲」研究は、細かな対象をいじくり、「満洲」とはなんだったのかという大きな問いの自覚に欠けると批判したくなるようである。
 こうした研究動向のなかで、大出尚子さんは、「満洲」の歴史の1つひとつをていねいに明らかにしてゆく姿勢をもっているとみえる。今回の報告は、「満洲国」国立博物館の設立についてとなった。1935年に開館した「満洲国」国立博物館は、のちに、1939年には、「満洲国」国立中央博物館の開設にさいして、奉天分館(現在の瀋陽)となる。このとき、本館は新京(現在の長春)におかれた。この奉天分館は現在、遼寧省博物館として引き継がれている。
 大出さんの報告は、「満洲国」国立博物館の設立をとりあげることをとおして、@「満洲国」における博物館行政の概観し、A「対満文化事業」の動向と、B清朝の遺臣たちの関与について考察し、「満洲国」の文化政策の特質を展望するものとなった。日満文化協会(満日文化協会)がその設立に関与した国立博物館は、「「満洲国」文化の創造と振興を図る事業の一環」であり、「満」「漢」の人びとによりそれらの知識や、彼らが所蔵したり収集したりする書画や美術工芸品を収蔵・展示することで、「満洲国」文化を表象し、その宣揚の機関となった、との報告であった。
 ディスカッションでは、清朝の遺臣がかかわる清の美術工芸品が展示された博物館が「満洲国」の文化を表現するというとき、ナショナルな領域をめぐる葛藤や齟齬はなかったのか、「満洲国」建国を境として博物館や展示という概念や手法に転換はあったのか、などが論点となった。
 また、大出さんは、今夏の中国での档案館や図書館の調査をふまえて、中国で得た史料による成果は中国で公表できるようにしなければならない、と述べた。これは、過去の出来事を記録した史料がどこにどのようにあるのか、それをだれがどのように利用するのか、それをふまえた歴史の記述はだれにむけてどのようにおこなうのか、をめぐるポリティクスの自覚表明である。こうした自覚は、日本人が「満洲」の研究をおこなうから必要となるというところにとどめてはならない。日本人による日本史研究にだって、日本人がヨーロッパ史であれイギリス史であれその研究をおこなうときには、それを考える機会は必ずある。いま「満洲」研究が流行だというとき、この自覚の持つ射程の広がりと深さがどれほどのものか、というところで、研究史の革新がはかられることとなるのだろう。出席者5名。(経済学部助教授 阿部安成)