【2/13 経済学部ワークショップの模様】

―Texture in Cultural Backyard―
「伊藤整と英語文学―小樽高商における外国語教育の影響―」

菊地 利奈 助教授

 実学重視の旧小樽高等商業学校に1922年(大正11年)に入学した伊藤整は、高商在学中の三年間に、本格的に文学に傾倒してゆく。入学以前に口語自由詩に衝撃をうけ、日本の詩集を読みあさっていた少年は、外国語学教育を重視した小樽高商で精力的に英語とフランス語を学び、図書館で洋書を読むようになる。外国語で書かれた文学作品は、「新しい世界」として彼の目にうつったことだろう。在学中に、整はチェーホフの英訳された短編を和訳し、イェイツやデ・ラ・メアの詩集を熱心に書き写した。
 海外の「最先端」の詩集や小説を原書で読み、一学年上に在学していた小林多喜二や高浜年尾(高浜虚子の長男)、蒔田栄一(卒業後、小樽高商の英語教員になる)らがつくりあげていた「文学的校風」に自尊心を刺激され、多感な青年期を過ごした伊藤整。伊藤整の文学者としての基盤に、小樽高商の教育(あるいは、その存在そのもの)が多大な影響を与えていることは間違いない。そこで、このワークショップでは、1922年度から1924年度(大正11年度から13年度)までの小樽高商のカリキュラム、語学教員による授業、図書館の蔵書に注目し、小樽高商における外国語教育が伊藤整文学に与えた影響を検証した。
 翻訳家、文学批評家としても名高い伊藤整の文学活動には「外国文学」の影響が色濃い。整が高商卒業後、詩人になろうと決意し、自費出版した詩集『雪明りの路』(1926年)には、チェーホフとイェイツによせた詩がふくまれ、見開きにはイェイツの詩が引用された。他にも、詩集中にヴェルレーヌやプリュドムなど、フランス詩人の詩が引用されている。詩集を読んだ当時の文士らは、伊藤整という将来有望にみえる新人詩人にはイェイツの影響があるとか、チェーホフの趣があるなどと評した。
 『雪明りの路』出版から三年後、上京した整は外国文学の動向に注目した同人誌『文芸レビュー』をたちあげ、その後、金星堂発行の『新文学研究』の編集者となる。『新文学研究』はその名の通り「文学研究」の雑誌であり、海外の最新の作品、作家、文学批評論文を紹介する雑誌であった。伊藤整が、ジョイスやD.H.ロレンスなど、「20世紀の外国文学」に注目し、それらの作品を翻訳として日本の文壇に紹介するだけでなく、自らも、海外の斬新な「小説の手法」をとりいれ、小説を執筆していったことを考えると、伊藤整文学のなかで「(20世紀の)外国文学」のしめる重要性は計りしれないといえる。
 伊藤整が「最新の」外国文学に興味をもつようになり、それらについての知識を収集し、それらを読み理解するだけの語学力を養った場所は、小樽高等商業学校であったと私は考える。このことは、小樽高商で重視された実学教育と矛盾するように感じられるかもしれないが、当時の小樽高商の校風は意外なほどに文化的なものであった。小樽高商を代表するイベント、学生による「外国語劇」の上演もその文化的校風を物語る。文学サークルともいえる雑誌部が刊行していた『交友会会誌』には、学生や教員による英語詩、翻訳、短編など、文学的質の高い作品が掲載された。また、イギリスで当時ベストセラー作家であったトマス・ハーディの作品をテキストとして使った「実用英語」の授業や、J.Mシングやイェイツの作品を扱った英語文学・英語詩の授業などが開講されていた。図書館には、整が入学する以前に、すでに4100冊におよぶ洋書がそろい、20世紀のヨーロッパ小説、演劇作品、全集がならび、外国生活を長く経験した教員たちが外遊から持ち帰ったらしい出版されてまもない文学洋書も寄贈された。
 このような校風と教育環境で育った伊藤整だからこそ、イギリスやアメリカで発禁となっていた『ユリシーズ』の翻訳を手がけるという判断もできたのではないだろうか。1922年にパリで出版された『ユリシーズ』が、イギリスで出版されたのは1936年。アメリカでは1933年まで猥褻文書扱いをうけ、出版されたのは1936年である。それに先駆けて、伊藤整らが日本で翻訳を刊行したのは1931年だ。つまり、整は海外の文壇で高い評価を得ているという理由で『ユリシーズ』に注目したわけではなく、自らその文学的価値を判断したことがうかがえる。
 「一は商業実践、二は企業実践、三は商品実験」(1911年創立当時)という教育方針にのっとり、実験工場を作り、多くの実業家育成を成し遂げた小樽高等商業学校が、商業学校であると同時に道内唯一の高等教育機関でもあり、多くの語学教員を輩出し、「文士になること」を望んだ伊藤整のような文学青年の情熱にも応えうる教育機関であったことは特筆に値する。初代校長がかかげた教育目標「商業実践」には、実際の海外取引やビジネス交渉で必要となる文化的知識や教養も含まれていたに違いない。文学批評家、翻訳家、編集者、大学教授、作家、詩人、そして時には、出版社との渡り合いや近代文学館創立にむけてのビジネス交渉などで商才をも発揮し活躍した伊藤整は、その教育成果を代表する存在であると、私は考えている。出席者7名。(経済学部助教授 菊地利奈)