【2008/1/15 経済学部ワークショップの模様】

―Texture in Cultural Backyard U―
「今を生きる:異教に暮らす」

シェームス・カレン神父(聖コロンバン宣教会)

  講演者のシェームス・カレン神父(聖コロンバン宣教会、以下敬称略)は、41年前にはじめて来日して以来、神奈川県、熊本県、大分県など日本各地で宣教しながら、現在は和歌山県新宮市に在住し、「他宗教との対話」の仕事に携わっておられる。
 カレン神父がアイルランドで生まれた当時は、アイルランドはカトリック一色であり、神の存在は当然のものとして受け取られていた。日本に赴任が決まったときに、「本物の宗教でなければ通じない」と思って来た。その思いは今でも変わらないという。
 神父は、神父になって25年の記念に、「神父とは何か」「神とは何か」を問うために、インドのアシュラムに半年ほど滞在する。座禅などをしながら、そこで悟ったことの一つに、「今を生きること」の大切さがある。
 神父はいう。我々現代人には「ここ以外のどこでも良い」「今以外のいつでも良い」という意識が強いのではないか。我々がいかに今を生きることが少ないか、ともすれば既に終わってしまった過去のことやまだどうなるかわからない未来のことに拘泥してはいまいか。子供はいかに今を生きることに長けているか。今を生きることができれば、ほとんどのストレスは消える、と。
 体験や実話などを交えて穏やかに語る神父の話は、どれも人間味にあふれ、深い。例えば、インドにいったらマザー・テレサに会おうと思っていたが、アシュラムに行ってやがて、「マザー・テレサに会ったということを人に話したい」という不純な思いが自分の中にあることに気が付いて会うことをやめたというエピソードも紹介してくださった。
 今回は時間がなく、アシュラムから戻ってからの宣教生活についての話をお聞きすることはできなかったが、神父の話には座禅や経行という言葉がしばしば登場し、「他宗教との対話」をまさに体現されているように思われた。教会を持たず「今を生きること」の大切さを説く神父の姿は、なぜか曹洞宗の良寛のそれに重なったりもする。もし、機会があれば、より詳しく、現在暮らしておられる和歌山での活動についてうかがってみたいと思った。(中野桂)