【7/11 経済学部フォーラムの模様】

「リーダーシップ」

【発言者】     小野 善生 (本学助教授)
           柴山 桂太 (本学助教授)
【コメンテーター】 宗野 隆俊 (本学助教授)
           木村 早希 (2回生)
           花井 亮太郎 (3回生)
           岸田 英明 (3回生)
【司会者】 阿部安成助教授 弘中史子助教授
【共催者】 滋賀大学経済学部、ゼミナール協議会

 今年度最初の経済学部フォーラムは、「リーダーシップ」と題して、7月11日(火)14:30〜17:00に開催しました。
  まず、小野善生さん(情報管理学科)と柴山桂太さん(社会システム学科)のおふたりの教員が発言者として、前者が「現在に要求されるリーダーシップとは」、後者が「「危機」の本質」を論じました。つづいて、宗野隆俊さん(社会システム学科)、木村早希さん(2回生)、花井亮太郎さん(3回生)、岸田英明さん(3回生)のコメントを得て、テーマである「リーダーシップ」をフロアからの発言をまじえて議論しました。  ここでは発言者おふたりの論議を紹介して、それにわたしの感想をつけくわえることとしましょう。
 小野さんは、日常語となっていながら、しかしそれをきちんと説明することが日常の場ではむつかしい「リーダーシップ」を、学問や研究の概念として、具体例をふまえながらきちんと論議することを掲げました。そこでの論点は、@「人を惹きつける言葉、勇敢な行動、思い切った決断が出来る人物がリーダーシップを発揮できるのではないかという英雄主義的発想だけで説明がつくのか」、A「リーダーシップは、リーダーだけの問題なのか」と問うところにありました。
 小野さんの論議は明快で、Aにかかわって、リーダーと問題を共有できるフォロワーという視点を示して、@リーダーシップの要件を、フォロワーの能動性を喚起することと提起しました。コミュニティは、その構成員ひとりひとりがその場を、そこでの課題を「わがこと」としてとらえるようにうながしてゆくリーダーがいて成り立つ、ということなのでしょう。
 柴山さんは、このリーダーシップを、われわれにみぢかな(はずの)日本国内閣総理大臣小泉純一郎を例として論じました。小泉首相は、偽りの危機を掲げて構造改革をすすめていった、しかしほんとうの危機はコミュニティの「全面的衰退」にある、それをきちんと見抜き、それに対処することがリーダーシップとなる、と小泉政治を評価して、コミュニティを論じる、これが柴山さんの手法です。
 柴山さんは、アメリカ合衆国の事例をあげながら、家族から国家にまでいたるコミュニティの衰退こそが、現在の真の危機であり、これは現在の日本にもあてはまることで、この衰退とは、「社会から人と人のつながりが失われている」ことのあらわれだ、といいます。そして、コミュニティ再生の鍵は、それを構成するひとりひとりの意識改革と、それぞれの組織でのリーダーシップにある、とみとおしました。
 司会であるわたしがうまく議論を導けなかったこともあって、討論時間がものたりなく感じるほどに多様な意見がでました。今回のフォーラムは、危機、コミュニティへの帰属=ひととひととのつながり、アイデンティティの3つのテーマをうまくかかわらせて論じるフィールドが示された、とわたしは感じました。危機をどのようなものとして示すのか、それに応じるときに、集団の構成員の能動性をどのように喚起するのかは、わたしが研究する19世紀の国民国家の創設にもつながる論点です。
 今回は、企画のはじまりの時点からゼミナール協議会の学生と協議をしながら、フォーラムをくみたてました。フロアにあつまった院生と学生の数は教員よりも多く(全員で30〜40名の出席)、ひとりひとりがいろいろと考え、それぞれに発言していました。ただ、まだこうした場になれていなかった学生にとっては、なかなか発言することがむつかしかったかもしれません。とはいえ、さまざまな方法や立場をとる複数の教員が1つのテーマをめぐって論じあう、そこに学生も自由にくわわってゆく、というゼミ協学生の所期のもくろみは、うまく展開された、あるいはその可能性が開かれたといってよいでしょう。通常のゼミや講義とは異なるこうした場を、学生も院生も教員もひとりひとりが「わがこと」と考え、今後もフォーラムがつくりあげられてゆくことを願っています。(経済学部助教授 阿部安成)